3×3×3

ゆとりアラサーオタクのブログ

センスとかお洒落ってつまるところ実態はなに

「センスとかお洒落ってつまるところ実態はなに」

 

 

毎日私にとっては辛いニュースばかりのこの頃、ネットを見るのが苦しくて考えれば考えるほど眠れなくなったりするので、何か違うことを考えようとしていた時にふとこの疑問が浮かび上がった。

 

私は死ぬほどしょうもない具体的な妄想をよくするのだけど、今日いただきハイジャンプの私服コーデ対決を見ていた時に、自分がこういう企画みたいのに出たらどうなるんだろうという妄想をしていた。

 

(ここから先はずっとあまりにも馬鹿な話してるんだけどいちいち突っ込まずに見て)

 

企画はHey!Say!JUMPのメンバーが御殿場アウトレットの決められた4つくらいのお店の中でコーデを組んで誰が1番お洒落か判断してもらうみたいなシンプル定番企画だったんだけど、そもそも店を決められている時点で自分の好きな服選べなくない!?ってなったのよ。だってさ、洋服選びって、そもそもどの店で買うかから好みがスタートしてない?ってね。

 

でもよく考えてみたら、本当にお洒落な人ってあるものの中でめちゃいい組み合わせを見つけてしかも何となく自分カラーみたいなのを出したりするじゃん。それって要は好みが大衆からお洒落とされているかというよりはお洒落と思われるアイテムを見つけ出し組み合わせるセンスがいいってことだよね?

だけど何がお洒落かなんて別に定義が決まっているものでなく、時代とともに変わりゆくものでもあるのに、それでもお洒落と言われる人はずっとお洒落でしょ?何となくの人類の共通認識みたいなものがあって、それを察知する能力が著しく高くてかつそれをアウトプットする能力にも長けている人がいわゆるセンスが良くてお洒落な人ってことだよね。

 

そこで自分はどうなんだ、と考えてみる。そもそも自分が何かを欲しいと思う時、それがお洒落かどうかなんてよく考えてたら考えてなかった。自らの直感でかわいい!!となるものを買っているだけなのである。だから私の好みが大学生の時からずっと変わっていない。お洒落かどうかを考えていたら時代や年齢とともに変わっていくのだろうけど、もう分かりやすく自分の好きなものが確立してしかもどんどん歳をとるとともに煮詰まってきてるから平気で10年くらい同じ服着てたりするんだよね。

 

それで、私は自分の趣味がとてもいいと思ってる。いいというか、センスがいいのかどうかは知らないけどブレない好みというのがあってそれが本当にかわいいと思っている。だから全く周りがこうだから真似しようとかはないんだけど、承認欲求鬼高コンプレックスの塊人間なので、欲張りなことにお洒落と思われたいという願望が捨てきれずにいるのである。

 

多分、なんか知らないけど私は垢抜けました!みたいな感じで過去からの写真を動画で載せてるインスタのストーリーとかよく流れて来るのをみる限り、お洒落って定義はないといえどもある程度勉強して努力してコツを掴めば近づけるもののような気がする。(センスがいいとは別物だとは思うけど)

なのに私は厨二病なので自分の意思を捨てたくない!という謎の意地を持ち続け自分の好みを突き詰めるからお洒落になれなくても仕方ない。でも気にするっていう世界一どうでもいいジレンマ。

 

そんなわけで私はお洒落な人へのコンプレックスが凄まじいので、三茶とか代々木上原とかを歩いてる肌の質からお洒落ですみたいな人を見ると自分が惨めになるし、ハイブラの店とかデパコスの店に入る時もこいつ芋くさいなと思われているんじゃないかと気にして一人で入れない。

 

だけどジャンルってあるじゃんある程度。私は見た目は完全にサブカルなんだけどサブカルの中でもガーリーでクラシカルでレトロなのが好きだから、そういう系の古着を取り扱っている古着屋さんに行く時だけ結構堂々とできる。自分がその場で浮いてないし、同じ好みを持った人が集めた服を売ってる店な訳だから私を見て変な格好と思う人もいないと思うからだ。

 

ところでじゃあそんなコンプレックス持ってるやつのくせに何でコーデの写真上げたりすんの?って思うじゃん、理由は単純に承認欲求が強いからなんだけど、私がコーデをあげたりするのって本当に狭い範囲でのインスタのストーリーのしかも親しい友達の中だけなんだよね。めちゃくちゃネットを怖いと思ってるし万人に認めてもらえると思ってないから狭い範囲でやってるんだけど、私のことをよく知ってくれている人なら私がどういうのが好きで、どういう考え方をしているかってわかってくれてるじゃん。

だから私のことをわかってくれている人には見て!!かわいいでしょ!!!!って共有したいの。こんなかわいい服買ったよ!とか、今日こんなかわいい服着てるよ!!って話したいんだよね。

そんでみんなは私の姿を見慣れてるから、全然似合ってないとか思わないじゃん?もうずっとそういう服ばっか着てるから。見慣れてんの。

そういう狭ーい世界で自分に優しい世界だけで生きるようにしてんのよ私はめちゃくちゃ小物だから。

 

本当はね、昔から芸人になりたいと思ってたし、YouTuberもやってみたいし、恋愛リアリティショーにも出たいって思う願望はまだあるのよ。なぜかというと自分を肯定してくれるファンが欲しいから。

だけどもう私は31だからね、自分の周りに自分のこと肯定してくれる人がいることを知ってるし、普通に会社の人とかに見られるの恥ずいとかいう羞恥心もあるからこれからの人生も願望を捨てきれずに、でも表舞台に出て行くことはせずに死んでいくんだろうな笑

 

ずっと何の話って感じだけど、私の頭の中はいつもこういうどうでもいいことを考えてる。なぜかというと一人暮らしで繁忙期でない限り時間が余ってるからだ。要するに暇な時間があって話す相手もいないからずーっと一人で考え事してんだよね。しかも自分に関することばかり。自分大好き人間だからね。

 

31歳にしてこういう脳内かつ、その脳内を恥ずかしげもなく人様に話すような人間だからこの先もずっと変わらないんだろうな。みんないつも話聞いてくれてありがとね。

 

最後にね、まじいきなりだけど私の大好きなJUMPYour Seedっていう曲の歌詞はっつけとくね。

 

人生なんていえば 胸に重く響くけど

好きなもの好きといえる勇気だけは手放したらダメだよ

 

 

みんなが心穏やかに暮らせる世の中になりますように!!!!!

byオタク

自意識と戦う

「自意識と戦う」

 

東京で一人暮らしをしていると、様々なことが自由すぎて日々を楽しくだけ過ごしてしまう。

平日に仕事をし、行きたいライブに行き、着たい服を着、食べたいものを食べ、やりたいことをする。

それを平気でやれてしまう環境だから、時の流れを普段の生活では蔑ろにしてしまう。

 

でもふと周りを見渡すと、圧倒的に自分は一人、大人になれないまま取り残されているような感覚になってしまうことがある。

なんのために生きているのか、自分でもよくわからない。

みんなが恋愛をして、結婚をして、子供を産んで、育児をしている。

私が蔑ろにしてた時間に、周りは一回りも二回りも人生経験を詰んで、未来を見据えているのだ。

 

気にしないことはできない。私は私だからと割り切ることもできない。

結婚が全てじゃないよっていったって、そんなのわかっていても私は自分の未熟さと人生経験のなさに悩んでしまう。

だけど結婚がしたいわけじゃない、みんなが経験した、人を好きになって、楽しんだり悩んだりしながら人生のパートナーを見つける、っていうことがしたい。もちろんそのために努力した人もいれば、生活の中で自然にそうなった人もいる。

私は努力をしていない。だから文句を言う筋合いも悩む筋合いもないんだけどね。

 

生きるのは大変で世の中には様々な困難があって、自分で働いて自分で生活して生きてるだけで偉いって思えたらいいんだけどね。プライド高いし強欲だからそんなんじゃ納得できないのよ私は。

 

他にもね、年齢にまつわる悩みってのはある。

 

私は全ての物事にこだわりがあるけど、別にセンスがいいわけでもお洒落なわけでもない。

こんなにかわいいものが大好きでかわいいお洋服を買っても、自分がそう思ってればいいと思う反面、ダサいって思われてたらどうしよ、とか、若作りやばいって思われてるかもとか、そういうの気にする。

もう、学生時代と違って個性的と思われたいとかは思ってない。

でも自分がとびっきりお気に入りの洋服は自分だけのものにしたいから一点ものがよくて古着ばっかり買うんだけど、安っぽいって思われてたらどうしようとかも思ってしまう。

(私が買ってる古着意外と安くはないんだけど)

 

結局のところはハイブランドを着こなす人がお洒落なんじゃないかとか思ってしまって、デパートの洋服屋さんには怖くて入れないし、品定めをされているって思う。

 

以前、たまたまかつての同級生に下北沢で遭遇した時、「すごい下北沢って感じだね」って言われたことがある。

その同級生はとても美人でお洒落でスタイルも良くて、どういう意図でその発言をしたのかはわからないけど、私はものすごく自信をなくした。

芋っぽいサブカルだねって言われたように感じてしまった。

別に無理しているわけでもないのに、田舎から出てきて頑張ってお洒落してる感が出てるって思われたのかな、とか、その年でまだそんな格好してるのって言われてるようにね。

 

だけど良くも悪くも私は昔から好きなものが全然変わらなくて、一度好きになったものはずーっと好きだから、年齢が増えたからといって自然とそうなっていくってことができない。

 

30歳、今年で31歳。

 

下北沢で古着を買うのは若作りなのかな?

フリルやリボン、レースのカラフルなワンピースが大好きだけど、痛いおばさんなのかな。

 

私が芸能人みたいに可愛くてスタイルが良かったら好きな服着てても結婚してなくても問題ないのかな。

 

アイドルのオタクは可哀想な独身なのかな。

現実逃避してるおばさんに思われる?

こんなに健全なオタクをしていても?

 

健康じゃなくなったら、ライブに行けなくなったら、私はどうやって生きたらいいんだろう。

 

こないだコロナにかかった時、症状は全コンプリートというレベルで本当にしんどかったし復活するまで2週間近くかかったんだけど、家から出れない、ただひたすら過ごすことが何よりもしんどかった。

 

私は今健康だから仕事ができていて、ライブや買い物に行ったり友達と遊んだりできてるんだって。

当たり前だけど生活は体が資本だから、体を壊したら人生終わるんだな、って思った。

 

だって私には家族や大切な人がいないから、遊べなくなったら何も残らない。

 

(もちろん地元に帰れば両親がいて絶対に大切にしてくれるとは思うけど、それは私が作り上げたものではないから)

 

私は30年かけて、何をしているんだろう。

どこをどうやって生きてたらみんなみたいに生きられたのかな、って羨ましくて悲しくなる。

 

そこまで馬鹿じゃないから自分の機嫌は自分で取るように気をつけてるし楽しみ作る才能はあると思ってるけどね。

 

結局はコミュニケーションを取るのがあんまり上手じゃないのかもしれない。

普通に生きてるつもりでも、色々できてないことがいっぱいあってこうなったのかもしれないな。

 

だけどさ、私と同じような人間もきっとこの世にごまんといて、普通じゃないって思えたらもはや逆に楽なんじゃないかと思うくらい、別に私は本当にただのよくいる普通の人間でもあるんだろうな。

 

BUMPの透明飛行船の2番の歌詞、本当に大好きなんだけど

「大きく小さなプライドが眠れない夜をいくつも生み

よくある類の苦しみに命掴まれて

大丈夫じゃなくて当然の社会 あぁ貧乏くじ引いたわけじゃないんだよ」

これ、なんで藤くんってこんなに人間のことわかるんだろう、、、

勇気をもらうとか、救われるっていうより、自分の考えていることは別によくあることなんだって、寄り添ってくれるんだよBUMPの曲はね。

 

生きるって難しいよなあ。

でも私が戦ってるのは世の中ではなく自意識なんだよね。

この強い自意識を捨てられたら、私の人生意外と捨てたもんじゃないって思えるんだろうけど。

 

同世代のみんな、お洋服はどこで買ってる?

今どんなことで悩んでる?

そういうの、全員に聞いて回りたい。

 

人の思考の話聞くのもめちゃくちゃ好きなんだ私。

人間の話が大好きだから、友達ともいつも思想の話ばっかりしてるんだけど。

 

なんのために生きてるかわかんないけど楽しい思い出いっぱいあった方が絶対いいから、遊ぶことを諦めたりしない。

 

再来週にはモーニングの武道館があるのできっとまたハッピーモードのサイクルがやってくるだろう。

 

みんな、元気に生きようね。

 

 

 

もう自慢できない平成生まれの肩書きもみんなまとめてダンシャリしよう

「もう自慢できない平成生まれの肩書きもみんなまとめてダンシャリしよう」

 

もう自慢できない平成生まれの肩書きも

みんなまとめてダンシャリしよう(right  now!)

次の時代へ 次の未来へ ジャンプしよう ジャンプしよう ジャンプしよう

3.2.1 バンジー

平静な日々にサヨナラしましょう 勢いとノリが大事

令和 令和 令和元年 最高のタイミング

何したってアニバーサリー

だって元年なんだもん! だって元年なんだもん!

だって元年なんだもん! だってだって元年なんだもん!

 

 

これ、Hey!Say!JUMPの曲って言われたらそう思っちゃうくらいJUMPにピッタリな歌詞だと思うんだけど、今私がめちゃくちゃハマっているBEYOOOOODNSの「元年バンジージャンプ」という曲です。

なんで私は令和元年にこんな素敵な曲に出会えなかったのかと心から後悔するくらいめちゃくちゃ明るい気持ちになれてなんだか涙が出そうになる名曲、、、、。

もともと私はしばらく何となーくモーニング娘。が気になっていたところから山﨑愛生ちゃんに出会い、ハロプロの沼の深さに怖気付きつつもようやく覚悟を決めて昨年末ハロープロジェクトのファンクラブに加入したのね。

そして大晦日の日、実家へ帰省していた私は紅白歌合戦を見ずにリビングのテレビを独占し、ハロプロのコンサートの生中継を見ていたところ、BEYOOOOONDSのハムカツ黙示録とHey!ビヨンダのライブパフォーマンスを見て何このグループ!全員歌うまくて可愛くてかっこいい!!!と衝撃を受け動画を見漁り今に至るというわけです。

ビヨちゃんにはまだ特定の推しというものはいなくて、こっちもかわいいあっちもかわいいこの子も魅力的だしあの子も魅力的、、、とどこもかしこもいい意味で逃げ場がないというかハア〜〜〜〜〜最高のグループだねえええとにわかながらに感じています。みんなどうやって推し決めたん?すごくない?

この感覚、Hey!Say!JUMPもそうなんだけどね、どこもかしこも美しいしかわいいし魅力的じゃんってなるこの感覚。でも私は信仰型オタクなので伊野尾くんが教祖すぎて他のメンバーに推し変するとかないんだけども(うるさい)

 

ところで冒頭にこの曲の歌詞がJUMPにピッタリと言ったんだけど、もっと細かくいうとJUMPと同世代の私にもめちゃくちゃ刺さるのよね。

平成生まれが若者とされた時代に生まれた平成初期の90年代生まれのみんな、言っても平成生まれだし、ってちょっとタカを括ってたことない?

私が好きな昭和レトロなお洋服や雑貨たち、今は平成レトロって言葉ができて、それと同じように今の若い子達がどこかにエモや目新しさを感じて好きになってるんだよね。

 

年齢を重ねることはできることや視野が広がるし自由も増えていくから悪いことではないはずなんだけど、年齢とともに自分が魅力を身につけた大人になっている気がしないということが時たま無性に自分を苦しめることがある。

精神年齢の低さや人生経験値の低さ。私が歳をとってできるようになったことって何?これまでの生活から何かステップアップしたことある?って。社会的に何かの役割果たしてる?ってね。

 

私の自分の評価は相対評価。人と比べて自分がどうかでしか自分を評価できない。自分のこと大好きで自分が絶対正しいって思ってそうて思われてる気がするけど、人からどう思われるかめちゃくちゃ気にしているし自分がこうありたいというルールに自分で縛られて、そのルールを守ってればいいって思ってればいいのに自分のルールが世間で正しいと評価されないと気が済まない。

私の友達には自分を教祖とする自分教に入会している人が数人いる。本当にそれが憧れで、人と比べない、何にも左右されないぶれない自分がある、っていう人が羨ましい。

私の意志の強さは、何かを信じる意志の強さなんだよね。これを信じると決めたものへの愛と執着がすごいだけで、自分を信じられてない。だから、信じるものが健全だから何とか真っ当な道を歩んでるけど、これが本当にやばい宗教だったら私はカルト信者になってた。絶対に。

 

そう考えると、人生で1番最初に見つけた信仰先がBUMP OF CHICKENで本当に良かった。私の人生の拠り所で軸がバンプである限り、人としての道を外すことはないし、これから変な宗教にハマることもない。

何度も何度も言っているけど、中3の時の自分、本当によくやった。

 

だけど私は基本的に生きるのがあんまり上手ではない。能力的なものが著しく低いとは思わないから、勉強も別にめっちゃできるわけじゃないけど人並みにできたし、地頭がめちゃくちゃ悪いってわけでもないから仕事も人並みくらいにはできて、絵も歌も楽器もできるわけじゃないけどめっちゃ下手でもない、運動神経も別に良くはないけど体育で他の人には迷惑かけることはないくらいのレベル。

私の能力が低いなと思うのは人間力の部分。人の気持ちを察することやちょうどいい距離感で仲良くなったりするのができない。背が小さくて平和な顔なのに愛されキャラになれないし、自分が人と壁作ってるから人から近寄りがたいと思われること多い。だけど1対1とかだとどんだけ喋るんってくらいしぬほどよく喋るし。

あと自分のことずっと考えて自分がどういう人間なのかある程度把握してるのにも関わらず、傾向と対策を練ることができないから成功できないし自ら難しい生き方したりとかしちゃう。

自分に合うような性格の人と仲良くすればいいんだけど自分の好きな人のタイプが自分と合わない人だったりするから喧嘩したり会うたびなんか疲れたり。

でも好きが勝っちゃうんだよね。向こうにも気を使わせたり疲れさせたりしちゃうってわかってても会いたいし話したい。疲れてもずっと喋りたいし仲良くしたいのよ。

30年生きてもこれは上手くできない。でも私メンタルだけは強いから、結局それで本当に仲良くなってるのはすごいよね。いいのか悪いのかはわからないけど。

そもそも私になんか合う人いるのか問題あるけど。めんどくさい人間すぎるから私。感情的だから、すぐ怒るし話しててすぐ泣きそうになるし。でもメンヘラではないのよね。身近な人に依存しない。それは信仰先が別にあるからなんだけど笑

 

ビヨちゃんの曲からどんなとこまで飛躍すんのこの話って感じだけど、やっぱりね、何者でもないまま30歳になるのって辛いよ。

誰かにとっての何かになりたいの、自分主体のね。これがほんとうに難しい。だから生きるの下手なの。

でも生きるの下手な割には上手に生きてんのよ。

普通だったら私に生まれて来てたらみんなもっと病んでるよ?もっと悩んでるしもっと悲しく生きてる。

私は一応楽しく生きてるって人に言えるくらいには楽しいこといっぱいあるし、自分で楽しいこと作るのは得意だから。

 

みんなさ、当たり前に悩んでることとかあるじゃん、で、その悩みとかの話聞いたりするの。なんかみんなものすごく将来を考えているし、悩んでいることが、自分はまだそんな悩みを持つことさえできないレベルで生きてるなって思っちゃうのよ。

そもそも悩みといえるほどの悩みもないというか、本当に後先考えず何も考えずに生きてるんだな、自分って中身のない人間だなって思っちゃう。難しいよね。悩みがないことが羨ましいと思うこともあれば悩みがあることが羨ましいと思うこともあるんだから。

 

でも、悩みについて私は持論があって、そもそも「悩み」というのは私にとってはハードルが高い言葉でほとんどの物事が私にとっては「考え事」なんだよね。

そのことについてずーっと考えて夜も眠れないなんてことは日常茶飯事だけど、じゃあそれは悩みなのというと悩みというか考え事してるだけって思っちゃう。悩んでる、なんていう言葉で言っていいのかわからないようなことだから。

そうやって自分は悩んでるなあと思ってると悩みがあるマインドになって暗くなっちゃうから考え事してるって思えばなんか楽観的になれる。いいか悪いかは置いておいてね。

 

2023年はさ、また楽しい年にできるといいな。今の時点でライブの予定めっちゃあるからもう確定演出みたいなところあるんだけど(そもそもバンプのライブ行ってるし)。

1年があっという間に過ぎるようになってしまったけど、それでも一個一個楽しい思い出増やしてって死んでいきたいな。

 

 

 

ハムカツ食うわけは明日も元気に暮らすためだ

「ハムカツ食うわけは明日も元気に暮らすためだ」

 

ハムカツ食う私 ハムカツ食う胸は

生半可に揚げてないわ

 

そうハムカツ食う夜中 ハムカツ食うわけは

明日も元気に暮らすためだ

 

あぁなめんな なめんな 燃える命のファイヤー

甘くない 塩辛い けれど生きてく ジュワ〜

 

 

最近私がめちゃくちゃハマっているBEYOOOONDSのハムカツ黙示録の歌詞なんだけど、見るからにトンチキソングだなって思うかもしれないけど、私は年末のハロプロライブの生中継を見ていて、この曲のビヨーンズのパフォーマンスがあまりにかっこよくてそれからずっと聴いているのです。

 

それでさ、このトンチキ歌詞、よくよく聴いているとめちゃくちゃ元気出てくるのよね。

これ、はぁムカつくとハムカツをかけて作られてる歌詞なんだけど、このハムカツってようは別にただ食べもののハムカツだけの意味ではないというか、ちゃんとハムカツなんだけど、ムシャクシャして爆食いしちゃって胃はもたれるし罪悪感感じるけど、でもそれは自分が元気に生きるため、なんとかストレスを発散できるよう、何かに気持ちをぶつけて、そうやって生きてる実に人間らしいあるあるを歌ってると思うのよね。(考えすぎ?児玉雨子さんの解説とか読んでるわけじゃないから全然見当違いかも笑 でもわたし音楽は自分対曲だと思ってるからそれでいいよね)

 

30歳にもなると本当に自分は社会的に大人だしただ何も考えずに生きてるだけだと後ろ指刺されてるような気持ちになっちゃうからさ、ちゃんと自分の中にハムカツ的存在を用意しておかないと心の平穏なんて保てないよ。

私の人生のポリシーは自分が楽しいと思う生活を送ることなんだけど、これ、本当に自分に自分で洗脳かけないと出来ない。だから私は自分に洗脳かけてる、私は楽しいよね?もっともっと楽しくなるために色々楽しい予定作ろうねって。

 

ギルドの歌詞でさ、「美しくなんかなくて 優しくもできなくて それでも呼吸が続くことは許されるだろうか」ってあるけど、本当にこれずっと思ってる。

可愛いわけでもない、性格がいいわけでもない、仕事ができるわけでも向上心があるわけでもない、みんなから愛されるような人間でもない自分が存在意義を見出すには、毎日楽しいって自分が思うしかないのよね。

 

そんなわけで私は自分が楽しくなるために長年ある意味の努力をしてきた結果、本当に自分を楽しませるのが上手になった。

1番効果が高いのはライブに行くこと。これは私が高校生の時からずっとやっている1番の人生の楽しみ。高校生からって、もう人生の半分はそうやって生きているってことだからね。ライブに行くと、生きてるなあ自分ってものすごく何かが満たされる。こんな素敵な空間にいれて良かった、生きてて良かったって思うんだよね。

趣味ってある程度年齢に左右されることがあるかもしれないけど、今のところ私がこの趣味に飽きることってなさそうだなあ。毎年毎年好きなアーティストやアイドルが増えていくわけだからね。

在宅オタクって自分とはかけ離れた存在だなあって思う。

そんでそれ以外、買い物も私の中で大きな娯楽。だって何より物欲が止まらない。服、インテリア、雑貨、何でも欲しい。買い物依存症というレベルまではいかないかもだけど、割と近しい部分はあるので、理性はぶっ飛ばさないようにだけ気をつける。

そして最後、友達とのおしゃべり。本当に人と話すのが大好き。だから誰かといるとずっっっっと喋ってる。実家に帰省してもお母さんにずっと話しかけてる(ほとんど無視されてる)

 

単純脳細胞だからこの三つのどれかをやってれば私って幸せ、、、って思えるんだよね。忙しくなってこれができなくなると薬が切れたかのように精神が乱れ出す。だから繁忙期ってやばいんだよね。

心が荒みまくって世の中全てが憎くなってイライラして自己嫌悪の悪循環。適度な睡眠と休養って大事なんだと1年に1度2月〜3月が訪れるたび思うよ。

 

ところで年は明けて2023年になり、今年はどんな年にしたいかなと考えたら、やっぱり上に書いたような娯楽3大要素を充実させていくとともに、人脈を広げたいなあと思っている。

人脈広げるというとなんか胡散臭いやつみたいだけど、私のいう意味は友達もしくは彼氏として一人でも多くの人と仲良くなりたいという意味ね。

もともと友達があんまり多くないから、もっといろんな人と遊んで楽しいと思える時間をいっぱい増やしたいんだよね。

でもこの年になって新しく出会うってどうやったら出来るんだろう。職場に新しい人ってなかなか入らないし、友達たちが遊んでいる場に来なよ!って誘われることもないし。。。

とりあえずこれから迎える地獄の繁忙期をまずは乗り越えなければいけないので4月以降になったら仲間を増やすためもっと積極的に何かしら頑張ろ。何かしらって何だけど。

 

あ!あと、そうそう、年末にハロープロジェクトのファンクラブ会員になったのよね。だからこれからは積極的にモーニングのライブにも行きたいなって思ってるんだけど、ライブ会場でお友達できたりしないかなあ、、、ジャニーズのライブ会場よりはハードル低いよね??

ハロプロにも同担拒否的なものってあるのかな、まだまだ新参者でルールとかわかんないし知識もないから様子見て馴染んでいかなきゃいけないな。

ハロショにも行きたい。めいちのFSK(アクスタっていう名称ではないみたい)を買って、伊野尾くんの隣に並べるのが直近ですぐ叶えられる私の夢なのです。

こういうふうに書くとなんか二人が付き合って欲しいみたいに思ってるって思われるかもしれないから弁明しとくと、もちろん別にそんな関係を望んでいるわけではなく、Hey!Say!JUMPとモーニング娘。って絶対交わらない世界線にいそうだからこそ、トップオプアイドルの二組のそれぞれの担当と推しが並んでいるところを見たいのです。

ジャニとハロの兼オタなんていっぱいいると思うけどさ、やっぱどっちもライブが最強なのよね、、、、。アイドルの中のアイドルというか、アイドルをプロとしてやっている感じが好きなの、そういうオタクめっちゃいるよね、、、、?

 

伝説のFNSでのモーニング×セクゾLOVEマシーン、あれは本当に最高だったけど、もし音楽番組でJUMPとモーニングが共演することがあれば、コラボではなく、お互いに自慢のセトリで交互に曲を披露してバチバチのパフォーマンス対決してほしいんだよなあ。

この対決のセトリの妄想するだけで時間溶けちゃう。

やっぱり私はめいち推しなので、わがまま気のまま愛のジョークを地上波でやってまーちゃんから受け継いだ愛されたいをぶちかまして欲しいな。ぜっっったいにバズる。ニコニコかわいいパンダさんパワーをトークで披露しておいて、パフォーマンスになったらバチくそかっこいいっていう、めいちゃんの最大の魅力をどうか披露させてください。。。。

 

久しぶりのブログでただの死ぬほど長い雑談になったけどブログってそういうもんよね。

今年も楽しく生きるぞ〜!!!!

ギャルピ

「ギャルピ」

 

コロナが始まってから1度も旅行をしていなかったけど、ようやく取れたHey!Say!JUMPのアリーナツアーの熊本公演に行くため、熊本まで23日のひとり旅をしてきた。

いまは熊本空港のフードコートで飛行機の搭乗までの待ち時間、このブログを書いています。

 

8日のライブに行くため、7日の早朝に東京を発ち、1日目と2日目の午前中は阿蘇熊本市内を観光してきた。

いろんなお店の人に声をかけてもらい、何しに熊本へ?と口々に聞かれるのでライブを見に、というとみんなにこやかにえー!それは羨ましい!ぜひ楽しんでってくださいねー!と送り出してくれた。

泊まったゲストハウスのオーナーさんもとても素敵な方で、朝はジュースやコーヒーを出してくれたり、おすすめのラーメン屋さんを尋ねたらわざわざ数件メールで食べログのサイトを送ってくれたりと、ホスピタリティに溢れてた。

 

そんな素敵な旅のなかで、どうしても語りたい、大好きなHey!Say!JUMPの熊本公演について、記憶を無くしたくないのでこの熱い思いを綴っていこうと思う。

 

会場までは臨時のシャトルバスがあり、大量のJUMP担に囲まれてわたしの緊張とワクワクはMAXへ。

会場に到着し、チケット発券。座席表が張り出されてなかったので席に着くまでどこのあたりなのか全く分からず、、、。

どんどん自分の席に近づいていくとまさかのトロッコ通路真横かつセンステからもめちゃくちゃ近い神席で、本当に緊張度MAXのわたしは携帯すらもいじらず硬直状態で開演を待っていた。

そんななか隣の隣の席の山田担が声をかけてきてくれて、席のやばさを共有し、とりあえず誰かと話せたことに少し安堵。

場内のモニターが映像に切り替わり、JUMP登場!チェックのメンカラ衣装めちゃくちゃかわいかった、、、、

そして伊野尾くん、ツートンの黒金だったんだけどなんと金髪部分が銀髪に変わってて、もうほんとに美だった、、、、

それでね、はじまってすぐにメインステージからセンターステージに移動して、メンバーが各々外の客席側を向いて歌ったんだけどね、わたしのいた位置がちょうど伊野尾くんの立ち位置で、はっきりと伊野尾くんが肉眼で見えるから脳がバグ起こして、謎に伊野尾くんってこんなお顔だっけ?みたいなゲシュタルト崩壊起こしてた笑

そしてそのあとトロッコのゾーンに入ったんだけど、わたしの真横を通るトロッコに伊野尾くんが!!

ドリカムで伊野尾くん会場内見渡して今回のツアーの自分のうちわ持ってる子必死で探してひとりひとり全員にギャルピしてたんだけど、わたしの前に来た時ちゃんと見つけてくれてギャルピしてくれたの、、、、、

ここでもうわたしは脳がフリーズ、そのあとの数曲は放心状態でなんなら涙目でもう曲も頭に入ってこなくて何が起きてるのかわからない状態だったんだけど、せっかく来たライブ、ひとつも残らず脳に焼き付けたいと思ってなんとか気を保ってた。

そのあと、さまざまな楽曲たちを披露してくれて、センステでバンガーナイトとか狼青年とかのバキバキダンス曲を踊ってくれたんだけど、伊野尾くんがしなやかに美しくダンスを踊る姿をこんなに肉眼でずっと観れることなんかなくて、後ろ姿だけなんだけど本当にかっこよくて綺麗でもう幸せだった、、、、

メインステージとバックステージはどうしても見えない位置だったから、そのときはモニター見てたんだけど、伊野尾くんの表情や歌声は本当にアイドルで、わたし、この人のファンになってよかった、って心の底から思った。

MCのわちゃわちゃJUMPちゃんは相も変わらず平和でかわいくて、個人的にはずっと隣同士でおんなじ角度で椅子に寄りかかってるいのたかが好きすぎたし喋る人をじっと見つめる伊野尾くんかわいかった、、、、、、

MCの内容はもうてんこ盛りで終始笑うかニコニコだったんだけど、ここでは割愛します。

ライブは後半に差し掛かり、シングルメドレーが続いて最後またトロッコターンへ。

さっき来てくれたからもう来ないかなと思ってたら、まさかのまた伊野尾くんがこちら側のトロッコへ!!!しかもね、トロッコがほぼ一曲固定位置にいたんだけどそれが伊野尾くんがすぐ近くの距離で!、!、!

また伊野尾くんは会場内を見渡しひとりひとりへギャルピしてて、ここでもう一回ギャルピしてくれたの、、、、

それでひとしきり近くにいる伊野尾担へのギャルピ業務が終了した伊野尾くん、もう一回こっちをみてわたしのこと見つけてくれて、笑顔でお手手ふりふりしてくれたのよ、、、、、、

わたしの隣も伊野尾担だったので、これはわたしに向けてのものではなかったかもしれないけど、角度的にもうベスポジでそれを見れたからもう誰へ向けてたなんか問題ではないよね、、、ニコニコお手振りを正面から浴びれただけでもう、、、わかるでしょ、、、、???

 

ところで、ここでわたしは伊野尾くんのファンサについて改めて触れていきたい。

そもそもわたしはファンサがほしいタイプのオタクではなく、認知とかも全然されたくない、信仰型タイプのオタクである。でも、今回こうやってここまで騒いでるのは、伊野尾くんが今回のツアーのファンサに至るまでの経緯が本当に素敵だからなの。

もともと伊野尾くんは、ほぼファンサをしないメンバーだった。誰かを特別扱いしないという気持ちがあってのことと、恥ずかしい気持ちもあったと思う。

もともとらじらーで、前回の裏ファブのうちわの自分のビジュがあんまり良くないという話から始まり、あんなビジュでもみんなお金出して買ってくれてるなら特典つけなきゃな〜と軽く話していたところから、今回もツアーが決まり、ただの冗談ではなく、本当にツアーうちわを買った子に特典をつけてくれることになった。

今回のツアーの伊野尾くんのうちわを持っていること、と明確にルールを決め、実際にライブでそれを実行して、特別扱いをせずに自分のファンに対して還元してくれる。

しかもうちわを持っていたのに貰えなかったという子に対して、それはうちわを見つけられなかった自分の落ち度だ、本当に申し訳ないとラジオで自分の言葉で誠意を示してくれる。

カンペうちわの自分だけの確定ファンサを貰えるファンサが素敵なのはめちゃくちゃわかる。だけど、わたしは伊野尾くんのこういうところが本当に大好きで、、、有言実行する男気溢れる姿を身を持って体験できたのが本当に嬉しかった。

でもこういうお話のときにもカンペうちわを指示書と言ったりユーモアと毒を交えてお話する緩急の付け方が本当に大好きだよ、、、、、

 

とまあそういう感じで無事にファンサを貰ったわたし、これまでファンサなんて貰うことを想像してなかったからその破壊力に完全にやられてしまいまして、実を言うとセトリとかどんな演出だったかとかがまったく覚えておらず、、、、笑

もうなんかずっと放心状態で上の空でだけどなんかもう言いようのない多幸感を感じてる、みたいな状態です。

他のメンバーのことももちろん全員大好きで、素敵な場面めっちゃあったはずなのに、思い出せないから語れないのが悔しい、、、、

だから今回はレポではなくもうただの感情の吐露だけど優しい目で見守ってください、、、

 

この23日、本当に毎時間楽しくて最高のひとり旅だった。

ドームツアーもあたりますように、、、、!!!

 

 

ラストワン

「ラストワン」

 

わたしはつくづくBUMP OF CHICKENに生かされているなと感じることがある。

知り合いからすれば耳タコだろうけど、いつ何時も、ふっと歌が脳裏から離れなくなって、いや今までもずっとそばにいたじゃんと声をかけてくれるのだ。

 

 

 

約束が欲しかったんだ 希望の約束が

そのためなら全てを賭けられる様な

それがある誰かさんはぎりぎりで大変なんだって

それがないからといってそんな風に見ないで

 

一日中何してたんだっけ イライラしたのは何故だっけ

受け入れたような顔をして 欲張っているんだろうなきっと

 

 

なんでちゃんとお腹は減るの なんのために息は続くの

明日もきっと生きてるよ 誰にも関係ないままで

 

 

 

これはラストワンという曲の歌詞の一部なのだけど、ここ最近ずっとわたしが考えていたことをそのまま歌っているようだった。

BUMPファンあるあるだと思うのだけど、それまで何度も聴いていたけど特に何も思っていなかった曲が、長い年月を経てふと自分の中にストンと落ちるような感覚になることがある。

ラストワンもそうだった。中学生のころはストーリー性のあるリビングデッドの曲が大好きだったけど、歳を取るとコスモノートやRAYの曲が自分に重なる瞬間が増えてきた。

 

先日わたしは30歳になった。別に20代と30代で何かが劇的に変わるわけではない。だけどわたしは自分が歳を重ねて素敵な人間になっていると思えないから、歳を取るということにとても恐怖や不安を感じている。

日本では(人間では?)結婚適齢期と呼ばれる時期がある。わたしは結婚願望があるかと言われると、まあ出来たらいいなくらいの気持ちなので別に結婚できない事に対する不安とか焦りみたいなものはそんなにないんだけど、自分が誰からも特別な存在になれない、大切だよって言ってもらえないことに対してものすごくコンプレックスがある。

そのコンプレックスがここ最近大きくなっていて、そのタイミングで誕生日を迎えたから、余計に拗らせてしまって自分の存在価値なんてないんだ、とひどく落ち込んでしまった。

そんなしょうもないこと、と言われるのは承知だけど、わたしにはお誕生日を祝ってくれる人がいなかった。

別に当日じゃなくてもいい、プレゼントが欲しかった訳でもない。ただ、誰かから誕生日だから一緒にご飯でも食べよって言って欲しかった。

もちろんメッセージを送ってくれた友達もいたし家族や親戚もメッセージをくれて、会社の人もプレゼントくれたりして、今思えば十分じゃん!ってなるんだけど、その時は謎の病み期に突入してたので、わたしに会いたいって思ってくれる人は誰もいないんだな、と思ってしまっていたのだ。

 

輪をかける様にして、度重なる遠征の予定により史上最大の金欠になってしまったので、自分から遊びの予定を立てずにいたら、本当に1ヶ月、なんの予定もなかった。

わたしが遊びに誘わなかったら、予定って何にも出来ないんだなって思った。

会わなくても平気というか、会おうってほどまでにはわたしに対する感情って無いんだろうな、って思えてきてしまってメンヘラ化し、いつもはそれでも一方通行でもいいと思って声をかけるところ、意地張って自分からは声をかけないでいて、余計に自分で傷つくという。

最終的には、自分が死んで悲しんでくれる人はいても、生活がままならなくなる人なんて別にいないんだろうなと思うと、自分がなんで存在してるのか分からなくなって、毎晩その事を考えてしまって眠れなくなるという日が続いた。

考えれば考えるほど涙が止まらなくなって、SNSで大切な誰かとの写真を上げている人を見るのが辛かった。

 

そんな時にラストワンがふっと脳内に流れてきて、改めて歌詞カードを見ながら曲を聴いた時、本当に救われた気持ちになった。自分のことを歌ってくれているかのように感じた。

あんまりBUMPに重荷を背負わせたくないけど、それでもやっぱりBUMPの音楽はわたしの心の拠り所でいつも生きる道標を与えてくれる。

BUMPの音楽はとても優しいけど、そんなに甘やかしてはくれない。「夜を凌げば太陽は昇るよ そうしたら必ずまた夜になるけど」だし、 「自分を嫌えば許される それは間違い 自意識が過剰 そもそも嫌えていない」なんだけど、「どうせいつか終わる旅を僕と一緒に唄おう」だし、「考えすぎじゃないよ そういう闇の中にいて 勇気の眼差しで次の足場を探しているだけ」なんだよ。

なんでBUMPがこれほどまでにファンに重い愛を持っている人が多いのか、この文章で少しは伝わったんじゃないかなと思ってる。

 

ところでそんな人いるのか分からないけど、もしわたしのことを心配してくれた人がいたとしたらそれは安心してほしい。わたしのメンタルは思っているよりもめちゃくちゃ鋼だ。

そもそもこんなメンヘラなブログを公に知り合いに公開するくらいのメンタルだし、泣いて眠れない夜を過ごしてもショートスリーパー気味なので普通に翌日会社に行って仕事してる。

BUMPはもちろんだけど、音楽もHey!Say!JUMPもモーニング娘。もわたしにはある。逃げ道をいっぱい用意してる。

 

それでもやっぱり、自分を元気にさせてくれるのは身近な人で、友達と遊ぶだけでテンション爆上がりになるし、生きる糧になる。

だから、本当に心からのお願いだけど、わたしに遊ぼうって声をかけてほしい。人助けになると思って。

会いたいって思ってくれてるんだなの証拠になるから。わたしがそれだけで安心できるし、それほどまでに本当に誰からも誘われないから。

実は嫌われてるから誘われてないだけなのによくこんなこと言えるよな、という可能性の恥はないのが謎だけど。

 

このブログも恥ずかしくなったら消すかもしれないけど、今のところ恥の概念はぶっ飛んでるみたいなのでなさそう。

夢の世界へ

「夢の世界へ」

 

毎年必ずブログを書こうと決めている今日、6月22日はHey!Say!JUMP伊野尾くんの32歳のお誕生日です。
過去2回、伊野尾くんの素晴らしさを語るブログを書いてきたので、今年は伊野尾くんが所属するHey!Say!JUMPというグループの魅力について愛と正義と熱量を持って語っていきたいと思います。

客観的に見てこういうグループ、という説明はわかりやすいけどそこに熱量がこもらないので、わたしは私らしく、主観のみに基づいて書いていくね。

何度も言っているけれどわたしのルーツはBUMP OF CHICKENで、そこから音楽やバンドを好きになり、これまでに本当にたくさんのアーティストを好きになりライブに行ってきた。
そして高校生の頃、東京03のファンになってからお笑いが好きになり、お笑いを仕事にするほどの熱量を持っていた。(その結果離れてしまったけども)
生きること、強い感情、思想、信念は、全て大好きな音楽から吸収して成長した。今でもそう。わたしは生きることを歌う音楽が好きだし、パッションが詰まった熱い音楽が大好きだ。
そして面白いことはお笑いから吸収している。笑いたかったらお笑いのライブに行く。何でそんな絶妙なところを取り上げるの、という人間のかっこ悪い部分をめちゃくちゃ面白いコントに昇華してくれる東京03が大好き。
何を言いたいのかというと、胸がいっぱいになるような熱い気持ちや面白いことは音楽やお笑いで十二分に得ているから、アイドルに求めるものはエモさでも面白さでもないということなのよ。

令和4年の今、アイドルというエンターテイメントはものすごく多岐に渡り、芸術性の高さやスキルの高さ、バラエティ能力や演技力など、アイドル「らしからぬ」部分的が評価をされて人気が出るということは往々にしてあると思う。それが悪いということではなく、わたしはアイドルの魅力をアイドルであることに感じているよ、ということなのです。

そもそもアイドル「らしからぬ」という言い回し自体が、なぜかアイドルを少しレベルの低いものと認識しているような部分も含まれているような気がして言いたくないなとわたしは思っている。
じゃあアイドルの定義って何と言われるとそんなの人それぞれだよ、なんだけど、わたしは夢の世界へ連れて行ってくれるエンターテイメントのプロ集団がアイドルだと思ってる。
必死にもがいてもがいてそんなどうしようもない生活を音楽に乗せて届けてくれるバンドが好き、生活に寄り添ってくれる歌詞が好き。
でもアイドルには、普段の生活から感じる喜怒哀楽ではなく、ファンタジーで創られたキラキラとしてただひたすらに多幸感に満ち溢れた世界に連れて行ってほしい。
そういう観点から見た時に、Hey!Say!JUMPというグループはわたしにとって世界で一番魅力的なアイドルなんです。

ここからはじゃあ一体どういう部分がHey!Say!JUMPの魅力なのか、ということを掘り下げていこうと思う。

まず最初に伝えたいのは、ビジュアルの強さである。キラキラとして浮世離れした夢の世界に迷い込むために圧倒的に美しいビジュアルというのは必要不可欠であるとわたしは思っている。これは賛否あると思うし、アイドルは顔が全てじゃないなんてことは言われなくともわかってる。でもそこに揺るぎない武器があるということはグループとしてめちゃくちゃ魅力じゃない?とわたしは思う。
ジャニーズなんか興味ないよ、と思っている人でも山田涼介を知らない人はいないと思うけど、圧倒的エースである山田くんの存在というのは本当にでかい。どう頑張っても非の打ち所がないくらいどこから見ても美しい山田くんがグループの顔として常に一線で活躍してくれていることが、他のメンバーのファンであってもみんな誇らしいに決まってる。
ただグループのエースだけが美しいというだけではないのがHey!Say!JUMPというグループなのです。
全8人のメンバーがそれぞれ方向性の違う美しさを持っていて、あっちを見てもこっちを見ても常に綺麗な顔がある、ということが、現実ではない夢の世界を作っている一つにして大きな要素だと思う。だって生きててそんなことないもん絶対に。視界に入るもの全てが美しいなんてことないでしょ?だからファンタジーなんだよ。
そしてHey!Say!JUMPの美しさは、可愛さとかっこよさと儚さを内包している。生命力を感じる強さが美しいこともあるけれど、どこか現実味がなく消えてしまいそうな儚さを持っているのは唯一無二なのではないかと思う。

このように浮世離れしたビジュアルを持ったHey!Say!JUMPはさらにものすごい表現力を持って様々な世界に連れて行ってくれる。
曲ごとに世界を完璧に作り出すことができるのがJUMPの最大の魅力だ。
普通もう平均年齢30歳を超えたグループがおとぎ話をモチーフにしたアルバム作ってその世界観でライブやります、と言って成立するはずがない。でもそれをなんの違和感もなく、むしろ引き込まれる世界を作り上げてしまうのがHey!Say!JUMPなのです。
いい意味でJUMPにはJUMPらしさという色が明確にはないと思う。マシュマロみたいにかわいさ全振りの曲をやったかと思えばバチバチにフォーメーションを決めるダンスナンバーをやったり、ワイルドで大人な曲も個性的で掴みづらい曲も昭和歌謡のような曲も和をふんだんに取り入れた曲も、キザでダサい曲もトンチキソングも、全部その曲の世界を8人が作り上げてしまうもんだから、こちら側がJUMPと言えばこうだよね、なんてことを言わせてもらう余地がないのだ。
この作り出す世界観って、ダンスとか歌とか演技がめちゃくちゃ上手いからできる、というものではないと思っていて、グループとしての魅せ方がめちゃくちゃうまいからなのかなと思うんだよね。

ここでJUMPが今年デビュー15周年になることを話したい。
JUMPは2007年、平均年齢15歳やそこらでデビューしてるので15周年であるにもかかわらず最年長が33歳の年で最年少は29歳の年だ。その年にして15周年を迎えるなんて異例中の異例で、いまだにまだ若い子たちのイメージが世間的にはあるんじゃないかと思う。子供でデビューしてるから、なかなか売れることが難しかっただろうなと思うけど、早くにデビューしてくれたおかげで、まだ30前後であるにもかかわらずしっかりと15年メジャーアイドルとして活動してきた素晴らしきアイドルとしての魅力が円熟されているなと思う。
Hey!Say!JUMPにアイドルやらせたら誰が敵うの、ってわたしは本気で思ってるよ。
いつまでもフレッシュでキラキラしていて、でも円熟された表現力が抜群にある。そんないいとこ取りしてるグループなんだよほんとに。

わたしはJUMPメンバーのアイドルというお仕事の捉え方もとても好き。それぞれのメンバーが同じ考えというわけではないけれど、全員がアイドルであることを本業として考えていて、グループが売れることを一番大事に考えてくれているような気がするからだ。
個々の活動を精力的に頑張るのも最終的にはグループに還元するため、自分が活動を頑張って世の中の人に知ってもらえたら、それでHey!Say!JUMPの名が売れる、と思って頑張ってくれているようにわたしは感じるし、実際いろんなインタビューでメンバーが公言している。そして、その考え方がメンバー全員一致しているように感じるから、わたしはグループを応援していてとても嬉しいし安心するし、一生ついていきたいなと思う。
本当に仲がいいのよJUMPちゃん。いつも楽屋でみんなで集まるし、ずーっとわちゃわちゃ騒がしく楽しそうにしてる。この仲のよさで沼にハマるオタクもいっぱいいるんじゃないかな?
グループの中に流れてる空気が本当に平和。平和を絵に描いたような空間がそこには広がっていて、メンバーの性格上みんな割とほんわかと温厚なのでメンバー同士で褒めあってキャッキャして、否定したりすることが全然ない。
そりゃほんとのプライベートなんて知らないよ?知りたくもないし。でも、そういう空気感を仮に公の場だけだとしても出せるということがまたHey!Say!JUMPが最強のアイドルたる所以だと思わない?
一度も不仲によるグループ解散を心配したことがないからね。本当に平和と幸せだけを届けてくれる。

さて、ここまで長々と好きなところを語ってきたけれど、わたしは伊野尾教の信者なので、教祖の言う通り地道に布教活動をしなければいけないという任務があります。
この布教活動って、なかなかに大変で、ジャニオタという言葉の持つ嫌な強さは時に布教活動の大きな足枷となってしまうことがある。
ジャニーズというだけで毛嫌いする人が一定数いるでしょ?それはきっと一部の害悪なオタクのせいで、その害悪というものの中にはもちろんマナーを守らないというものもあるけど、あまりに高い熱量で押し付けがましく語ってくるオタクも含まれていると思うのね。
だからわたしは基本的にオタクを公言していないというのもあるけど、ジャニオタ以外の人にはできる限りウザがられるような話はしないでおこうと心がけている。(仲のいい友達はノーカンで)

そんなかで与えられた任務も果たさなきゃいけないのはどうしたらいいのかと考えるけど、やっぱりその場合、キャラクターを好きになってもらうことが一番だなと思うよね。
そもそもジャニーズなんて興味のなかったサブカルのわたしがなぜ伊野尾くんの沼にハマったのかというと、バラエティでの立ち振る舞いがあまりにもツボだったからだった。
ジャニーズを好きでない人に全力でアイドルをしているライブパフォーマンスをいきなり見せても拒絶反応される確率が高い気がする。
別に曲は好きじゃないけど嵐が出てる番組は見るよ、っていう人が日本中にどれだけいると思う?
ジャニーズのすごいところはそこで、音楽活動以外の姿を見せることができる大きなプラットフォームがあるということだと思うんだよね。
もちろん嵐のような大国民的アイドルになることは奇跡に違いないけど、テレビに出てる誰かよくわかんないけどなんか好き、みたいな人が追っていくとジャニーズで、最初はテレビで見てるだけだったのがライブを見てみるとギャップとパフォーマンスの凄さに沼落ちする、って人が大半なんじゃないかな?

というわけでわたしがおすすめしたいのは、土曜日の朝10:25からフジテレビでやっているいただきハイジャンプという冠番組です。深夜帯から朝へお引越しして、オタクからするともしかしたら少し物足りなくなったかもしれないけど、ファンじゃない人からしたら気軽に見やすい企画が多くて、かつメンバーの魅力も伝わる番組になっていると思う。
衣装もみんなお揃いのTシャツにデニムにスニーカーで、キラキラ衣装ではないし、仲良さそうで見てて平和な気持ちになると思うよ。
わたしは6年前からのファンで、何でもっと早くファンになってなかったのかなと思うこともあるけど、いつ好きになってもまだまだこれから楽しいこといっぱいくれるグループなので、今からでもぜひ!
そしてあわよくばオタ友になってわたしと一緒にライブや聖地巡りに行こ。。。

最後に、伊野尾くん、32歳のお誕生日おめでとうございます。
伊野尾くんのおかげで本当に人生が楽しいし、幸せです。
今年1年も素敵な毎日を過ごせますように祈ってます!