もう自慢できない平成生まれの肩書きもみんなまとめてダンシャリしよう
「もう自慢できない平成生まれの肩書きもみんなまとめてダンシャリしよう」
もう自慢できない平成生まれの肩書きも
みんなまとめてダンシャリしよう(right now!)
次の時代へ 次の未来へ ジャンプしよう ジャンプしよう ジャンプしよう
3.2.1 バンジー!
平静な日々にサヨナラしましょう 勢いとノリが大事
令和 令和 令和元年 最高のタイミング
何したってアニバーサリー
だって元年なんだもん! だって元年なんだもん!
だって元年なんだもん! だってだって元年なんだもん!
これ、Hey!Say!JUMPの曲って言われたらそう思っちゃうくらいJUMPにピッタリな歌詞だと思うんだけど、今私がめちゃくちゃハマっているBEYOOOOODNSの「元年バンジージャンプ」という曲です。
なんで私は令和元年にこんな素敵な曲に出会えなかったのかと心から後悔するくらいめちゃくちゃ明るい気持ちになれてなんだか涙が出そうになる名曲、、、、。
もともと私はしばらく何となーくモーニング娘。が気になっていたところから山﨑愛生ちゃんに出会い、ハロプロの沼の深さに怖気付きつつもようやく覚悟を決めて昨年末ハロープロジェクトのファンクラブに加入したのね。
そして大晦日の日、実家へ帰省していた私は紅白歌合戦を見ずにリビングのテレビを独占し、ハロプロのコンサートの生中継を見ていたところ、BEYOOOOONDSのハムカツ黙示録とHey!ビヨンダのライブパフォーマンスを見て何このグループ!全員歌うまくて可愛くてかっこいい!!!と衝撃を受け動画を見漁り今に至るというわけです。
ビヨちゃんにはまだ特定の推しというものはいなくて、こっちもかわいいあっちもかわいいこの子も魅力的だしあの子も魅力的、、、とどこもかしこもいい意味で逃げ場がないというかハア〜〜〜〜〜最高のグループだねえええとにわかながらに感じています。みんなどうやって推し決めたん?すごくない?
この感覚、Hey!Say!JUMPもそうなんだけどね、どこもかしこも美しいしかわいいし魅力的じゃんってなるこの感覚。でも私は信仰型オタクなので伊野尾くんが教祖すぎて他のメンバーに推し変するとかないんだけども(うるさい)
ところで冒頭にこの曲の歌詞がJUMPにピッタリと言ったんだけど、もっと細かくいうとJUMPと同世代の私にもめちゃくちゃ刺さるのよね。
平成生まれが若者とされた時代に生まれた平成初期の90年代生まれのみんな、言っても平成生まれだし、ってちょっとタカを括ってたことない?
私が好きな昭和レトロなお洋服や雑貨たち、今は平成レトロって言葉ができて、それと同じように今の若い子達がどこかにエモや目新しさを感じて好きになってるんだよね。
年齢を重ねることはできることや視野が広がるし自由も増えていくから悪いことではないはずなんだけど、年齢とともに自分が魅力を身につけた大人になっている気がしないということが時たま無性に自分を苦しめることがある。
精神年齢の低さや人生経験値の低さ。私が歳をとってできるようになったことって何?これまでの生活から何かステップアップしたことある?って。社会的に何かの役割果たしてる?ってね。
私の自分の評価は相対評価。人と比べて自分がどうかでしか自分を評価できない。自分のこと大好きで自分が絶対正しいって思ってそうて思われてる気がするけど、人からどう思われるかめちゃくちゃ気にしているし自分がこうありたいというルールに自分で縛られて、そのルールを守ってればいいって思ってればいいのに自分のルールが世間で正しいと評価されないと気が済まない。
私の友達には自分を教祖とする自分教に入会している人が数人いる。本当にそれが憧れで、人と比べない、何にも左右されないぶれない自分がある、っていう人が羨ましい。
私の意志の強さは、何かを信じる意志の強さなんだよね。これを信じると決めたものへの愛と執着がすごいだけで、自分を信じられてない。だから、信じるものが健全だから何とか真っ当な道を歩んでるけど、これが本当にやばい宗教だったら私はカルト信者になってた。絶対に。
そう考えると、人生で1番最初に見つけた信仰先がBUMP OF CHICKENで本当に良かった。私の人生の拠り所で軸がバンプである限り、人としての道を外すことはないし、これから変な宗教にハマることもない。
何度も何度も言っているけど、中3の時の自分、本当によくやった。
だけど私は基本的に生きるのがあんまり上手ではない。能力的なものが著しく低いとは思わないから、勉強も別にめっちゃできるわけじゃないけど人並みにできたし、地頭がめちゃくちゃ悪いってわけでもないから仕事も人並みくらいにはできて、絵も歌も楽器もできるわけじゃないけどめっちゃ下手でもない、運動神経も別に良くはないけど体育で他の人には迷惑かけることはないくらいのレベル。
私の能力が低いなと思うのは人間力の部分。人の気持ちを察することやちょうどいい距離感で仲良くなったりするのができない。背が小さくて平和な顔なのに愛されキャラになれないし、自分が人と壁作ってるから人から近寄りがたいと思われること多い。だけど1対1とかだとどんだけ喋るんってくらいしぬほどよく喋るし。
あと自分のことずっと考えて自分がどういう人間なのかある程度把握してるのにも関わらず、傾向と対策を練ることができないから成功できないし自ら難しい生き方したりとかしちゃう。
自分に合うような性格の人と仲良くすればいいんだけど自分の好きな人のタイプが自分と合わない人だったりするから喧嘩したり会うたびなんか疲れたり。
でも好きが勝っちゃうんだよね。向こうにも気を使わせたり疲れさせたりしちゃうってわかってても会いたいし話したい。疲れてもずっと喋りたいし仲良くしたいのよ。
30年生きてもこれは上手くできない。でも私メンタルだけは強いから、結局それで本当に仲良くなってるのはすごいよね。いいのか悪いのかはわからないけど。
そもそも私になんか合う人いるのか問題あるけど。めんどくさい人間すぎるから私。感情的だから、すぐ怒るし話しててすぐ泣きそうになるし。でもメンヘラではないのよね。身近な人に依存しない。それは信仰先が別にあるからなんだけど笑
ビヨちゃんの曲からどんなとこまで飛躍すんのこの話って感じだけど、やっぱりね、何者でもないまま30歳になるのって辛いよ。
誰かにとっての何かになりたいの、自分主体のね。これがほんとうに難しい。だから生きるの下手なの。
でも生きるの下手な割には上手に生きてんのよ。
普通だったら私に生まれて来てたらみんなもっと病んでるよ?もっと悩んでるしもっと悲しく生きてる。
私は一応楽しく生きてるって人に言えるくらいには楽しいこといっぱいあるし、自分で楽しいこと作るのは得意だから。
みんなさ、当たり前に悩んでることとかあるじゃん、で、その悩みとかの話聞いたりするの。なんかみんなものすごく将来を考えているし、悩んでいることが、自分はまだそんな悩みを持つことさえできないレベルで生きてるなって思っちゃうのよ。
そもそも悩みといえるほどの悩みもないというか、本当に後先考えず何も考えずに生きてるんだな、自分って中身のない人間だなって思っちゃう。難しいよね。悩みがないことが羨ましいと思うこともあれば悩みがあることが羨ましいと思うこともあるんだから。
でも、悩みについて私は持論があって、そもそも「悩み」というのは私にとってはハードルが高い言葉でほとんどの物事が私にとっては「考え事」なんだよね。
そのことについてずーっと考えて夜も眠れないなんてことは日常茶飯事だけど、じゃあそれは悩みなのというと悩みというか考え事してるだけって思っちゃう。悩んでる、なんていう言葉で言っていいのかわからないようなことだから。
そうやって自分は悩んでるなあと思ってると悩みがあるマインドになって暗くなっちゃうから考え事してるって思えばなんか楽観的になれる。いいか悪いかは置いておいてね。
2023年はさ、また楽しい年にできるといいな。今の時点でライブの予定めっちゃあるからもう確定演出みたいなところあるんだけど(そもそもバンプのライブ行ってるし)。
1年があっという間に過ぎるようになってしまったけど、それでも一個一個楽しい思い出増やしてって死んでいきたいな。